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ハセガワ 1/48 ダグラス A-4M スカイホーク

第2次大戦後、艦上戦闘機のジェット化は順調に進みましたが、小型艦上攻撃機のジェット化は立ち遅れ、朝鮮戦争終結後もレシプロ機のA-1スカイレイダーが主力でした。 米海軍は朝鮮戦争での対地攻撃の重要性を充分認識していましたが、共産軍のMiG15に優る戦闘機を開発するため艦上攻撃機の開発はまた遅れることになりました。 しかし、1950年代初め米海軍は次期艦上攻撃機の開発計画に着手しこの計画に対してダグラス社の設計チームは、軽量戦闘機の研究から生まれた総重量6.8トン、全幅8.4m足らずの小型機を提案しました。 この思い切った設計案が認められ契約が結ばれ、1954年6月22日初飛行したプロトタイプ1号機(XA-4A)は、徹底的な重量軽減がなされ、主翼は左右一体にして、それに胴体を乗せる機体構造の簡略化や整備性の容易さを考えて設計された機体でした。 1979年2月に最終量産機の引き渡しが終了するまで、生産期間26年、総量産機数2,960機となり、いかにA-4スカイホークの基本設計が優れていたかを証明しています。

A-4Mは海兵隊が運用していた既存のA-4の後継機で、1970年4月、A-4F改造の原型機が初飛行しました。 エンジンは推力の大きいJ52-P-408Aを搭載し、兵装搭載量も増え、垂直尾翼が角張った形状となり、後期から垂直尾翼上部にRHAWS (レーダー警報装置)が装備されました。 部隊配備は1970年11月からで、VMA-324 に最初に配備され、1979年2月に生産最終機がVMA-331に配備されました。

製作の記録です。
A-4M_11.jpg(95624 byte)
シートベルトはモールドです。インパネとサイドコンソールはデカールです。
ソフターを駆使しましたが、かなり深いモールドにそのまま貼りましたので一部は割れてしまいました。 A-4M_12.jpg(136953 byte)
コックピット、インテークダクトと排気ダクトを組み込んで胴体左右を接着します。 A-4M_13.jpg(134666 byte)
フラップ、脚カバーやパイロンは後回しにして、下面色のC316を塗りました。 A-4M_21.jpg(166671 byte)
尻もち防止に機首に錘が必要でした。組説では8gの指示でしたが、3.5gまで追い込みました。 A-4M_22.jpg(105486 byte)
脚等を除いて機体の塗装が終わりました。 A-4M_23.jpg(168516 byte)
このキットは武装が何も入ってませんので、ハセガワのエアクラフト ウエポンAを使うことにしました。

ここからは完成品です。クリックすると大きなサイズで見ることができます。

A-4M_UFL.jpg(361326 byte)
デカール貼って、ウェザリングして機外装備を組み付けて完成です。 A-4M_UBR.jpg(389461 byte)
1976年9月 アメリカ海兵隊 第331海兵攻撃飛行隊 バンブル ビーズ所属機のマーキングです。 A-4M_RUF.jpg(352637 byte)
Mr.ウェザリングカラーのマルチブラックで墨入れを兼ねてウェザリングしました。 A-4M_LUB.jpg(367633 byte)
キャノピーの内側にも計器とバックミラーを付けましたが、見えませんね。 A-4M_BMB.jpg(411075 byte)
中央のパイロンにはMER(マルチイジェクターラック)を介して500ポンド爆弾、主翼内側には増槽、
主翼外側には1,000ポンド爆弾を装備しました。ペイロード的には多分装備可能と思われます。 A-4M_LFS.jpg(129414 byte)
中央パイロンに対するMERの接着位置が前過ぎたようで、そのままでは前脚カバーと干渉してしまいました。
止む無く中央パイロンの位置そのものを後ろにずらすという荒業をせざるを得ませんでした。 A-4M_RBS.jpg(135843 byte)
着艦フックの縞模様はデカールが貼れそうに無かったので塗装しました。 A-4M_LBS.jpg(123431 byte)
背中に積んでいるのはアビオニクスパックです。 A-4M_RSF.jpg(129566 byte)

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