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special hobby 1/72 IA.58A プカラ |
1960年代中期にアルゼンチン空軍は陸軍の近接支援が行える地上攻撃機の要求仕様をまとめました。 この要求 を受けたアルゼンチン軍用機製造工廠(FMA; Fabrica Militar de Aviones = Military Aircraft Factory)は 1968年1月29日に空軍に対し正式に提案を行いました。 それは要求仕様を満たすために低空を低速で飛行でき るように複座でターボプロップ双発、T字尾翼として機体でした。 1969年8月20日に試作1号機が初飛行を行った 時のエンジンはギャレットTPE-331-U303でしたが、アメリカとの緊張関係からアメリカ製のエンジンを使うのが 難しくなり、2号機以降はフランスのチュルボメカ製アスタゾウ XVIエンジンが採用されています。 量産初号機は1974年11月8日に初飛行しており、1976年にはアルゼンチン空軍第3航空群へ配備されました。 同年 末にはアルゼンチン北西部サン・ミゲル・トゥクマンの反政府ゲリラ人民革命軍の鎮圧に投入され、最初の実戦 を経験しました。 本機はこの作戦で対ゲリラ機として申し分ない性能を発揮したことから、アルゼンチン空軍 から追加発注されています。 1982年のフォークランド戦争の際にはSTOL性能を活かして第3航空群所属の25機がフォークランド諸島のポート・ スタンリー、グースグリーン、ペブル島の前線飛行場に展開し、アルゼンチン軍地上部隊の近接航空支援やイギ リス艦隊への対艦攻撃を行いましたが、スティンガーミサイルで自衛する英地上部隊に対しては有効な戦果を挙 げられませんでした。 本機は最終的には148機が生産され、22機が輸出されています。 本機のニックネームである「プカラ」は南アメリカ先住民が築いたアンデスの石の要塞の名にちなんでおり、 アイマラ語で「強きもの」を意味する単語です。 |
製作の記録です。 |
コクピットを作るためにインパネを作ります。プラ部品とエッチングでフィルムを挟む方式です。 写真左はプラ部品にフィルムを貼ったところ、隣はエッチングのパネル表面、右は組上がりです。 |
簡易モールドの常で、タボ・ホゾがありませんので、胴体左右を接着するために先に糊代を貼っておきます。 |
シートを除くコクピットの加工が終わりました。サイドコンソール表面もエッチングを貼ってます。 尻餅防止のために機首に鉛の錘を入れましたが、とても足りませんのでコクピット下にも鉛板をぎっしり詰めます。 |
キャノピーと機首に隙間がありましたので、タミヤのホワイトパテを胴体側に塗っておいて キャノピー部品を押しつけてパテを整形しました。後は溶きパテで調整のつもりです。 |
胴体と機首を接着して、あちこちにホワイトパテと瞬着で隙間を埋めております。 主翼上下を接着したら、いつもの洗濯ばさみで固定して乾燥待ちです。 |
主翼付け根の隙間はプラ板で埋めてます。翼の後縁はガリガリやすって薄くしてあります。 水平尾翼もイモ付けの設計ですので、針金を仕込みました。 これでやっと飛行機らしい形になりました。 主翼にテープが見えますが、これは塗装に備えてのマスキングです。 |
プロペラのアッセンブリーです。 ブレードはバラバラですが、やはりタボ・ホゾが無いので針金で補強してます。 いつものように真鍮のロッドとパイプでプロペラが軽く回る機構を仕込みます。 |
シートを組み立てました。 エッチングで付属していたシートベルトを接着しましたが、 組説には簡単な絵しかないのでこれが正しい形なのかどうか良く分かりません。 |
ここからは完成品です。 |
やっと完成しました。 Brigada Area III/Groupo 3 de Ataqueの機体の様ですが、日本訳が分かりません。 この機体はシーハリヤーに撃墜されて、パイロットは捕らえられたそうです。 |
エルロンとエレベーターの後縁、翼端近くにはエッチングパーツの放電策が付けてありますが、見えますかね? |
チュルボメカ製アスタゾウ XVI(671KW=900馬力)エンジンで回しております。 |
機体色の緑はMrカラーの122番、茶色は119番を使いましたが、組説を良く見るとパターンが逆の様な気が。。。。 |
キャノピーの内側に小さなゴミが入ってしまいました。塗装も接着も問題無く出来たのに惜しいー!! |
本来ならロケット弾等をぶらさげてやりたかったんですが、武装用のパーツは一つも入ってませんでした。 |
現用機にしては珍しく空中線を使っています。 |
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