タミヤ 1/35 ドイツ軍重戦車 SdKfz182 キングタイガー ポルシェ砲塔
1943年1月、新型好みで強力な火砲の信奉者であったヒトラーは戦線に登場したばかりのタイガーIに代わる戦車として、さらに長砲身で破壊力のあるL-71口径の88mm戦車砲を搭載した新型戦車の開発を指令しました。 この砲は200mの距離で152mmの装甲板を貫通する威力を持っており、翌月にはドイツ軍兵器局は直ちに新型タイガー戦車、試作番号VK-4502の開発を各社に命じました。 これが後にキングタイガー、タイガーII・Pと呼ばれる6号戦車B型(Sdkfz-182)ポルシェ砲塔付きであり、ドイツ軍最後の量産型戦車となるヘンシェル砲塔付きキングタイガー(VK-4503)となったのです。 当時、ドイツ軍の戦車部隊総監だったグーデリアン将軍は生産する戦車の種類をできるだけ少なく限定し、その部品も互換性があるように努力していましたが、ヒトラーの気まぐれな命令はこの方針をたびたび乱しました。
タイガーIの開発の際と同様に、ポルシェ博士は既に新88mm戦車砲塔の設計を完了し、手回しよく生産に入っていました。 この丸みを持った砲塔は前部で厚さ100mm、側面で80mmの装甲を持ち、砲身には小さな防盾が付いていました。 しかし、パンサー戦車の防盾のように被弾時に反跳弾が搭乗員に危険を及ぼす恐れがあり、砲塔前部の薄い装甲とくぼんだ砲塔基部の形状は兵器局第6兵器試験部で問題になりました。 さらに生産部門からも曲面の多い砲塔は量産になじまないとの意見も出され、兵器局は完成した50基のポルシェ砲塔のみをタイガーIIに搭載することにして、この問題に決着をつけました。 そのため砲塔以外の車体および走行装置はヘンシェル砲塔付きのタイガーIIの初期に生産されたものと変わりありませんでした。
50輛のキングタイガー・ポルシェ砲塔付きはドイツ戦車の生産に多少の混乱を与えましたが、1944年6月、ノルマンディーに上陸してきた連合軍をいち早く迎え撃った最初のキングタイガー戦車大隊として戦史にその名をとどめています。
製作の記録です。主砲はビスとナットで締め付ける設計です。
砲身を任意の角度で半固定させることができます。