AFV CLUB 1/35 アメリカ陸軍 地対空ミサイル MIM-23 ホーク
第二次世界大戦中の対空武器は高射砲でしたが、その後は軍用機の動力が内燃機関によるプロペラ推進から次第にジェットエンジンへと切り替わっていきました。 そのため大幅に性能が向上した敵機に対し、高射砲ではその役割を果たすことが困難になっていきました。 そこで遠距離のターゲットを撃墜するために、 大戦の後期には各国が揃って地対空ミサイルの研究を始めました。
大戦後、初めてアメリカ軍に導入された地対空ミサイルはMIM-3 ナイキ・エイジャックスでした。 MIM-3ナイキ・エイジャックスは高空より襲来する爆撃機には効果を発揮しましたが、 中低空飛行の高速機には歯が立ちませんでした。 中低空の防空にも問題なく対応できるよう、 アメリカ陸軍野戦砲兵司令部から 「Homing All the Way Killer(どこから来ても誘導して落とす)」という計画が提出されました。 計画の目標は中低空の防空だけでなく、常に部隊を守れるよう、地上部隊の行進に同伴できる機動性も求められました。
1954年7月、ミサイルの設計をレイセオン社が担当し、発射機・装填輸送装置やレーダーの開発はノースロップ社が担当することが決まりました。 1956年6月に試作ミサイルの試射を成功させ、1957年8月に正式にMIM-23Aの識別名が与えられ、発射機はM192とされました。 1959年にはアメリカ陸軍に、1960年には海兵隊に導入されました。 ミサイルの改良は導入後も続けられ、より小さいロケットモーターを装備したため従来の不安定なバルブパーツを取り除く事が出来たMIM-23Bが1972年に配備されました。 MIM-23Bは射程距離を25kmから35kmに伸ばす事が出来て、1978年までにアメリカ軍全軍の切り替えを完了しました。 アメリカ軍以外に約25ヶ国がMIM-23を導入しており、中でもイスラエル・日本・ノルウェーやイランなどの国は独自の改修を行ない、様々な戦役の中で戦果を挙げています。
製作の記録です。アメリカ陸軍のミサイルは各部の塗り分けが必要なので塗ってから組み立てることにしました。
3基のミサイルを組み立てて墨入れしました。
発射機の車体を組み立てて塗装しました。
ミサイルラックと云うべきでしょうか発射機の上半分を組み立てて塗装しました。
後ろの方に3本の金属線を仕込んでますが、これはミサイルがずり落ちないための固定具です。
もともと有った高さ2mm程度の突起を置き換えたもので、ミサイル側に有った浅い穴は深く掘りました。
ここからは完成品です。クリックすると大きなサイズで見ることができます。
ウェザリングして組み上げて完成です。運搬状態も選べましたが、設置状態としました。
組説には1962年10月27日フロリダ アメリカ陸軍第6大隊第65防空砲兵団と書いてありました。
この日は「暗黒の土曜日」と呼ばれるキューバ危機が極限にまで達した日付です。
ミサイルはMIM-23Aだと思われます。車輪と地面の間隔は広すぎるかもしれません。
一部を除いて摺動部にはミラーフィニッシュを貼ってます。
ミサイルは墨入れして水性の半光沢クリアをスプレーしたのみで、それ以外のウェザリングは無しです。
車体の方はタミヤアクリルのフラットクリアXF-86を筆塗りして,
ウェザリングカラーのサンディウォッシュでウォッシングして墨入れしました。
車輪にはウェザリングスティックのサンドとマッドを使いました。
最大仰角の状態です。