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タミヤ 1/35 アメリカ陸軍高速装甲車 M20

第二次大戦中のアメリカ軍軽装甲車M8グレイハウンドは本来戦車駆逐部隊の支援車輛として開発が開始されました。 その開発計画が機械化騎兵部隊に引き継がれ1942年に制式化された後、戦車駆逐部隊から新たにM8をベースとした多用途の高速装甲車の開発要求が出されました。 この要求に基づいてフォード社が開発し、1943年4月に制式化されたのがM20高速装甲車です。

M20は出力110hp/3000rpmのハーキュリーズJXD液冷ガソリンエンジン、前進4段・後進1段のトランスミッションなどM8の6輪駆動の足まわりと19mmから3.2mm厚の圧延均質装甲鋼板で構成される車体を引き継ぎながら、 旋回砲塔が取り外されて車高の低いオープントップ構造となり、機動性や実用性がさらに高められました。

車体上部の四角形の広い開口部は低い装甲板で囲まれ、内部には前部中央に折りたたみ式の指揮用テーブル、両側に兵員用シート、後部中央に機銃手用シート、 そしてSCR-508やSCR-694などの大型無線機を左側面あるいは右側面に装備、操縦手や副操縦手に加えて兵員4名が搭乗できました。 また武装としては、車体上部の機銃用リングマウントにブローニング12.7mm M2重機関銃を装備し、車内にはM9A1型60mmロケット弾発射筒(バズーカ砲)とロケット弾、M1カービン銃、 さらに車輛によっては車体左側面に対戦車地雷用ラックを備えました。

M20は当初、M10型装甲多用途車と呼ばれましたが、同じ時期にM4シャーマン戦車をベースとしたM10駆逐戦車が制式化されたため、混同を避けるためにM20と名称変更されました。 M20は1943年から1945年までにジェネラル・モータース社によって3791輛が生産され、主に独立戦車駆逐大隊に配備されました。 また自由フランス軍にも供給され、その高い機動性を活かして指揮、兵員や物資輸送、偵察に大きな働きを見せました。 さらに1950年に勃発した朝鮮戦争にも出動するなど、第二次大戦後も多くの国々で使用が続けられました。

製作の記録です。
M20_Z11.jpg(148477 byte)
車体より下を組み立てて塗装しました。サビ汚れを入れた排気管とマフラー以外はウェザリング前です。 M20_Z12.jpg(150849 byte)
車内はウェザリングまで済ませました。インパネは塗装して白でドライブラシしました。
インパネとハンドルを付けた車体上部は乗せているだけです。 M20_Z13.jpg(129348 byte)
車体上部を外して操縦手を乗せました。後からでは乗せられませんから。。 M20_Z21.jpg(159000 byte)
下地にタミヤのクリアX-22を塗って、デカールを貼りました。

ここからは完成品です。クリックすると大きなサイズで見ることができます。

M20_UFR.jpg(368600 byte)
組み上げて、ウェザリングして完成です。 M20_UBL.jpg(323236 byte)
1945年ドイツの独立第807戦車駆逐大隊 B中隊 第1小隊所属車両のマーキングです。 M20_LUF.jpg(350988 byte)
タミヤのフラットクリアXF-86を塗ってからステインブラウンでウォッシングし、
さらにサンディウォッシュを重ねてウェザリングマスターのマッドやサンドを乗せました。 M20_RUB.jpg(363079 byte)
エッジには色鉛筆の白を擦りつけました。 M20_LFS.jpg(238643 byte)
頑張って塗ったのに、フィギュアの顔は殆ど見えませんね。 M20_LBS.jpg(216033 byte)
タイヤはタミヤのウェザリングスティックのマッド、ホイールはサンドで汚しました。 M20_RSU.jpg(243016 byte)
ホイップアンテナは伸ばしランナーです。 M20_RBS.jpg(228461 byte)

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