DRAGON 1/700 アメリカ海軍 軽航空母艦 BELLAU WOOD
ベローウッド(BELLEAU WOOD)はインディペンデンス級航空母艦の3番艦で、当初は巡洋艦ニュー・ヘヴン (USS New Haven, CL-76) として建造が行われましたが、1942年2月16日に航空母艦に艦種が変更されました。 艦名 のベロー・ウッドは第一次世界大戦で海兵隊が激戦を繰り広げたフランスの地名です。 インディペンデンス級軽空母は建造途中のクリーブランド級軽巡洋艦の船体を流用した軽空母で、巡洋艦時代の 軽敏な速力と 十分な排水量を備えています。このクラスの特徴としては、船体が巡洋艦の設計として完成されて いたため、巡洋艦時代に甲板となるはずであった装甲の上に取り付けるようにして飛行甲板と格納庫が設置され ていることです。
真珠湾攻撃後の危機でアメリカ海軍にはできる限り多くの航空母艦を緊急に配備する必要が有りました。海軍は 正規空母のエセックス級の建造を加速すると同時に、1942年1月にはクリーブランド級軽巡洋艦を航空母艦に改装 するよう発注しました。同級の設計の特色は小さなアイランドと共に、比較的短く狭い飛行甲板および格納庫で した。これによるトップヘビーを軽減するため船体は中央部で5フィート拡張されています。
ベロー・ウッドはニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で1942年12月6日に進水し、1943年3月31日 に就役しています。短期間の整調航海の後、太平洋艦隊に配属され1943年7月26日には真珠湾に到着しました。 1944年には神風攻撃によって大きな被害を被りながらも1945年には日本本土への攻撃作戦にも参加し終戦を迎え ました。1947年1月13日にはアラメダ海軍飛行場で予備役として係留されましたが、1953年9月5日、ベロー・ウッ ドは相互防衛援助計画の下でフランス海軍に移管され、ベロー・ウッドの原語であるボア・ベロー(Bois Belleau) の艦名が付けられました。1960年までは現役任務に有りましたが、その後アメリカに返却され、1960年10月1日 には除籍されています。
製作の記録です。写真は上下逆で、船首と船尾は別パーツなので分かり難いですが、船体の部品です。かなり反ってます。
このままでは格納庫と合体できませんので、お湯に浸けたりして矯正しようとしたんですが直りませんでした。
そこで船体中央の舷側に切り目を入れ、ジャンク箱から持ってきた錘板を接着して矯正しました。
でもって、何とか直せました。
格納庫壁は甲板の方に接着して、甲板に墨入れしました。
甲板の白線はデカールが付いてましたが、左右とエレベータの線はモールドされてましたので塗装しました。
なぜか中央の白線はモールドされてないのでデカールを使いました。
シルバリングを避けるために、チマチマと白線の部分のみを切り取って貼ってます。
艦橋、トラス構造のマスト基部、マストを組み立てました。成型色のマスト以外はエッチングです。
エッチングのヤードは張り線のテンションに耐えるように金属線で補強しました。
艦上機に掛かります。アベンジャーはまあまあですが、ヘルキャットはキャノピーが低すぎます。
艦上機の主翼はランナーにつけたままで塗装してデカールを貼りました。
艦橋マスト、レーダー、デリックは最後に組み付けることにして、この後は兵装の艤装に掛かります。
ここからは完成品です。
対空兵装、艦橋、レーダー、その他の装備品を組付け、艦上機を載せて完成です。
艦上機はすべて翼を畳んだ状態にしましたが、虫が止まっているようです。
今回は付属していたエッチング以外の手摺はパスしました。
艦尾の比較的口径が大きい砲の砲口は開口しました。
艦橋マストの取り付け位置は前詰めが正しいようですが、張り線した後に気づきましたのでそのままです。
デカールはカルトグラフ製で余白は殆どありませんでした。
尾翼のチェッカーはアベンジャーにはぴったりでしたがヘルキャットには少しカットしてます。
プロペラもプラ部品で、切り出しには気を使ったんですが、それでも一つ破損しましたので、
一機だけは透明プラ板を切り出してエンジン起動状態としました。
艦尾のプロペラガードは0.28mmの真鍮線で作り直しました。