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タミヤ 1/700 重巡洋艦 CA-35 インディアナポリス |
インディアナポリスは1932年11月にフィラデルフィア海軍造船所において竣工しました。 その船体はクリッパ ー型艦首など基本的には条約型巡洋艦のノーザンプトン級を踏襲したものでしたが、舷側や甲板の防御装甲が強 化されるとともに約9m低くなった三脚式マストが外観上の特徴で、ポートランド級の2番艦となりました。 就役から8年の1942年12月7日、インディアナポリスは偵察艦隊の旗艦としてハワイの南西にあるジョンストン島 付近で演習中に太平洋戦争開戦の日を迎えました。 その後は南太平洋、アリューシャン列島、サイパンやグア ム島への上陸作戦、マリアナ海戦、硫黄島、沖縄攻略作戦など日本軍を南太平洋から日本本土まで追い込む数々 の作戦に出撃しましたが、沖縄で神風特攻隊の直撃により大きな損傷を受け、修理のために本国への帰還を余儀 なくされました。 インディアナポリスは大戦中数回に渡って改修が加えられていましたが、この2ヶ月の修理期間を利用してさら に対空兵装やレーダーが強化され、新型観測機カーチス・シーホークも搭載されました。 修理と改修を終えた インディアナポリスは7月16日にサンフランシスコを出港、極秘命令により機密物資をB29爆撃機基地のあるテニ アン島まで運んだ後、レイテ島に向かいました。 しかし、その途上7月30日の深夜、日本海軍伊58潜水艦の放っ た魚雷2本が右舷艦首と艦橋付近に命中、わずか12分後に沈没し、乗員1199名のうち約800名が海に投げ出されま した。 8月2日に哨戒機が偶然発見するまでの間に漂流を続けていた乗員の多くは鮫の出没する危険な海域で命を 落とし、救助されたのは艦長マクヴェイ大佐を含むわずか316名でした。 そしてインディアナポリスがテニアン 島に運んだ機密物資こそ、8月6日にB29によって広島に投下されることになる原子爆弾の重要部品でありました。 |
対空兵装やレーダーが強化された後の状態です。 |
船体色が暗くなってしまったので黒バックも使ってみましたが、張り線が見にくいのでいつものバックに戻します。 |
主砲はポリキャップ式ですので、旋回させることができます。 |
仕上げの艶消しクリアを雨の日にスプレーしてしまったので最初は白い粉がふいて しまいましたが、翌日クリアを再びスプレーして大半は誤魔化すことができました。 |
手摺りはエッチングパーツですが、舷側と甲板が別部品でしたので、 舷側の内側を少し削って、その間に埋めるように接着しました。 |
艦番や艦載機の国籍マークはデカールですが、艦首・艦尾の旗は紙製でした。旗は紙製の方が扱い易いですね。 |
後部マストトップのレーダーは黒く塗ってエナメルのクロムシルバーで墨入れしてます。 |
カーチス・ホークのプロペラはF4U用のエッチングパーツを使いました。 |
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