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ハセガワ 1/350 日本海軍駆逐艦 雪風 |
雪風は、数ある日本海軍艦艇の中で最も栄光に満ちた存在として知られています。 雪風は第二次世界大戦開戦 当初から常に主要作戦に従事し、戦闘は勿論のこと、護衛、輸送、救助と休む間もなく太平洋を走り回り、しか も終戦の日に活動できる数少ない駆逐艦の一隻でした。 しかし、その反面、あまりの幸運ぶりに僚艦の乗組員 からは「疫病神」と陰口を叩かれることもあったようです。 日露戦争・日本海海戦での日本海軍の圧倒的な勝利は列強各国を驚嘆させ、当時の海戦のあり方を根底から覆 しました。 やがて各国は歯止めのない建艦競争に突入しました。 その影響が世界的な経済活動にまで及ぶに 至って、列強各国は軍縮条約を作り様々な規制を行いました。 その結果、日本は極度に海軍力が抑止されるこ とになり、昭和5年のロンドン軍縮条約で大国が率先して大軍縮を行うことを主張しましたが、列強の同意は得 られず、日本は昭和11年末に条約を脱退しました。 無条約となった昭和12年の第三次補充計画で陽炎(甲)型駆 逐艦が15隻建造されており、その8番艦が雪風でした。 雪風は昭和15年1月20日佐世保工廠にて竣工し、初陣は昭和16年12月8日の日米開戦と同調して行われたレガスピ ー上陸作戦でした。 これより雪風は太平洋における代表的なほぼ全ての作戦に参加し、常に最前線で苛烈な戦 いを行うことになり、大和型艦船三隻(武蔵・信濃・大和)の沈没も見届けています。 終戦後は特別輸送艦と して復員輸送に活躍し、その後賠償艦として中華民国に渡りました。 賠償艦として整備された雪風を見た連合 軍武官は「敗戦国の軍艦で、かくも見事に整備された艦を見たことが無い、正に驚異である」と話したそうです。 |
昭和15年の竣工時の状態です。 |
艦橋左右のボートにはオールのモールドがありましたが、削り取ってエッチングパーツに置き換えました。 |
駆逐艦とは言え、1/350で、それなりに大きいですから、船底色・舷側・甲板の鉄板部分はスプレーを吹きました。 舷窓は全て開口してあります。 |
エッチングパーツはハセガワの純正品を使い、艦尾のプロペラガードは真鍮線で置き換えました。 プロペラシャフトも真鍮線で置き換えましたが、写真では白飛びしてアルミ色になってしまいました。 |
主砲と魚雷発射管はポリキャップで旋回可能ですので、「右舷砲雷戦ヨーイ」状態にしてみました。 主砲にも空中線支柱が有りますが、先端をリング状にして旋回しても空中線を引っ張らないようにしました。 |
主砲の砲口は開口してありますが、良く見えないですね。 |
竣工時なので舷側と艦尾の艦名表記は残してあります。 デカールのシルバリング防止のために、一度光沢のクリアをスプレーしてからデカールを貼ってます。 |
手摺りのエッチングパーツは部分的に糊代が着いているタイプでした。 糊代を先に曲げてから接着するのが基本ですが、直線部では写真の右舷のように 一旦そのまま接着して、瞬着が個化したところで、エイヤっと曲げてやりました(左舷)。 |
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