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アオシマ 1/700 日本海軍 重巡洋艦 利根

日本海軍はワシントン、ロンドンの海軍軍縮条約に従って、高雄型の重巡洋艦、最上型の軽巡洋艦を建造してき ました。 この条約の特例枠とそれまでの未達成分を利用して基準排水量8,450トン、15.5cm砲を装備した中型の 巡洋艦2隻を建造することになりました。 これが後の「利根」「筑摩」になりますが、起工直後に日本海軍は 軍縮条約から脱退する方針を決めましたので、最上型と同様に主砲を15.5cmから20cmに換装し、重巡洋艦として 完成されることになりました。 巡洋艦は水上偵察機を搭載していますが、露天係留されているので主砲発射の衝 撃で破壊される可能性があることから戦闘前には全ての機体を発進させるようにしていたようです。 しかし利根 型では全主砲を艦に前部に集中させ後部を水上偵察機搭載用のスペースに当てることで戦闘中も航空機の運用を 可能にしています。

18ノットで8,000海里の航続力と水上偵察機を主力とする強力な航空艤装を持つ利根型は、その索敵能力の高さか ら開戦時より空母機動部隊に編入されることになりました。 利根型は完成時より理想的な巡洋艦と言われており ましたが、これは軍縮条約という制約に縛られずに余裕のある設計であったことが評価を高めた要因であると考え られます。

「利根」は「筑摩」とともに、ハワイ攻撃からミッドウエー海戦に至る日本海軍の攻勢期において空母機動部隊の 目となって活躍しました。 しかし、ミッドウエー海戦では、偵察機の発進ミスによる敵水上部隊の発見の遅れが 敗因の一つとなったと言われています。 南太平洋海戦に参加した「利根」は海戦後、内地で機銃の増設や電探装 備の改修を受け、昭和19年10月のレイテ沖海戦では戦艦「大和」「長門」「金剛」とともに米護送空母群に砲撃 を加えました。

その後内地に帰還した「利根」は損傷の修理と機銃の増設を行いましたが、燃料不足のために動くことが出来ず、 江田島湾内で海軍兵学校の実習艦になり、昭和20年7月24日と28日の空襲によって大破着底しました。

IJN_TONE_URF.jpg(166555 byte) 正確な年次は分かりませんが、機銃の増設を行った後だと思われます。
IJN_TONE_UBR.jpg(209387 byte)
スーパーディテール版ですので、主砲塔はメタル、砲身は真鍮挽物で、クレーン等のエッチングパーツが入っていました。
航空機運搬軌条もエッチングが入っていましたが、甲板を削るのが面倒でしたので使いませんでした。
IJN_TONE_FLU.jpg(164460 byte) リノリウム押さえは凸モールドを塗装して再現してます。
IJN_TONE_RFS.jpg(134620 byte) メインマストのレーダーはエッチング、舷外電路は0.25×0.5mmのプラストライプです。
IJN_TONE_LBS.jpg(143307 byte) 張り線は0.074mmのハリスを使いました。
舷側の魚雷発射口は開口して、内部に甲板を作って発射管を納めました。
IJN_TONE_CNTR.jpg(192179 byte) 艦橋の窓枠と煙突の雨除けも付属のエッチングです。
手摺りはライオンロア製で、甲板に溝を彫って最下段を埋め込んでます。
探照灯はレンズ面を少し浚って銀を塗り、透明エポキシ接着剤を流し込みました。
IJN_TONE_PLANES.jpg(214713 byte) カタパルトとクレーンは付属のエッチングですが、艦載偵察機はWLシリーズの共通パーツから持ってきました。
IJN_TONE_RSS.jpg(71749 byte) あまり背が高くなくてスマートなシルエットだと思います。
IJN_TONE_CRCT.jpg(134405 byte) 舷外電路は舷側に溝を掘ってプラストライプを縦に接着して、高さ(出っ張り)を減らすために少し削ってます。
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