前に戻る 案内所に戻る 次に進む

タミヤ 1/700 日本海軍駆逐艦 島風

駆逐艦はその速度も大きな武器の一つとなる艦艇です。 日本の駆逐艦の速力は大正初期に設計され た峯風型で39ノットに達しており、その4番艦として完成した初代の島風は40.7ノットという高速を 記録していました。 しかし、その後に設計された駆逐艦では軍縮条約の制約や復元性向上の影響等で 35ノット止まりとなっていました。 第一次世界大戦後のアメリカ海軍戦艦の速力向上は目覚ましく、 アイオワ級では30ノットを超えることが予想されており、35ノットではこれらの高速戦艦を攻撃する には速力不足であることは明白でありました。 そこで昭和14年、軍令部は40ノットの高速駆逐艦の 建造を要求し、第4次軍備補充計画に基本計画番号F5と呼ばれる高速駆逐艦の試作艦の建造が盛り込ま れました。 この試作艦は前述した初代島風にあやかって島風と名付けられることとなりました。

高速艦を生み出す最大の鍵は軽くて力の強い機関を作り、搭載することにありました。 日本海軍の 朝潮型では22Kg/300℃の蒸気を使用しておりましたが、陽炎型では30kg/350℃にまで向上し、陽炎型 の9番艦天津風には試験的に40kg/400℃の蒸気を使用する機関が搭載されていました。 島風でもこの 40kg/400℃の蒸気を使用する機関が採用されることになり、天津風が3缶で52,000馬力であったのに 対し、島風では75,000馬力に達していました。

島風は昭和16年8月に舞鶴海軍工廠で起工され、初陣は昭和18年7月のキスカ島撤退作戦でした。 その 後のフィリピン島沖海戦では、その高速にものを言わせて奮闘しています。 しかし、19年11月レイテ島 への兵員物資輸送作戦中に347機もの敵機の大群の猛攻を受け、3時間に渡る激闘の末、大爆発を起こし、 波間に消えていきました。 このような高温高圧缶を量産することは多大の困難が伴うことと戦局の影響 によって、ついに島風は試作艦に終わり同型艦が作られることは有りませんでした。

image001.jpg(263937 byte) 甲板がリノリウムでは無いので単色塗装で面白くないですね。
image002.jpg(261821 byte) 駆逐艦なので船体は小さいですが、手摺り作りが一番大変でした。
image003.jpg(188148 byte) 艦のレイアウトは他の駆逐艦と似たようなもんですが、幾分細長いようです。
image004.jpg(119477 byte) 後部マストのレーダーのエレメントは手摺りのロープと同様にリード線をほぐしたもので作ってます。
前に戻る 案内所に戻る 次に進む