前に戻る 案内所に戻る 次に進む

フジミ 1/700 日本海軍軽巡洋艦 大淀

「大淀」は昭和14年度の軍備拡充計画に基づいて潜水艦戦隊の旗艦として建造された軽巡洋艦で丙型巡洋艦と称されました。 本艦は 昭和16年2月14日に呉工廠で起工、昭和17年4月2日に進水、昭和18年2月28日に完成しました。 丙型巡洋艦はもう一隻が「仁淀」 として起工されましたが緊急を要する艦艇の建造を優先することにしたため昭和17年6月に建造中止となり、丙型は「大淀」一隻のみ となりました。 「大淀」には優れた機動性、長大な航続力、強力な通信施設、強力な偵察能力などが要求され、当時の最新技術が投 入されました。 主砲には最上型巡洋艦から撤去された15.5cm3連装2基が装備されました。 この砲塔は「大和」型戦艦の副砲とし ても搭載されています。 潜水艦戦隊の旗艦としての任務の必要性から強力な通信施設が装備されましたが、 主砲、高角砲の増大、航 空施設の大型化によりスペースが得られなかったため、魚雷発射管の装備は見送られました。 日本の軽巡洋艦で魚雷発射管を持たな かったのは本艦のみでした。

敵制空権下での強行偵察を行うために本艦には高速水偵「紫雲」の搭載が予定されていましたが、期待された高速性能が発揮できず、 この計画は断念されました。 これに加えて海戦方式の変化や乏しい燃料事情、各種艦艇の不足、逆に「大淀」には司令部設備が有っ たこと、通信兵装が優れていたことから、連合艦隊の旗艦として使用することになり、横須賀工廠で改装されました。 改装を終えた 「大淀」は昭和19年5月4日に連合艦隊司令長官豊田福武大将の旗艦となり、「あ号作戦」の指揮を執りました。 昭和19年10月の レイテ沖海戦には小沢部隊の1艦としてエンガノ沖海戦に参加しています。 しかし、戦争末期には江田島湾で疎開繋留中にアメリカ 空母艦載機の攻撃を受け、多数の直撃弾により大破転覆しました。 終戦後の昭和22年サルベージされましたが呉のドックで解体され、 昭和23年8月1日をもって日本海軍最後の連合艦隊旗艦が姿を消しました。

OOYODO_UFR.jpg(557356 byte)
レイテ沖海戦時の状態で仕上げました。
OOYODO_URB.jpg(217748 byte) 甲板の手摺り、マスト等はキット付属のエッチングパーツです。
OOYODO_FLU.jpg(187900 byte) 主砲の砲口はピンバイスでシコシコと開口してやりました。
OOYODO_LBS.jpg(133138 byte) 後部構造物(水上機の前の構造物)の屋根?の手摺りは真鍮線とハリスで自作しました。
OOYODO_RFS.jpg(128359 byte) 主砲の防水布は紫外線硬化型パテを盛り込んで作りました。
前に戻る 案内所に戻る 次に進む