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フジミ 1/700 日本海軍特設給油艦 極東丸 |
太平洋大戦前、日本海軍は本来ならば海軍の予算で整備すべき補助艦艇の多くを民間の海運会社に助成金を与え て建造させ、有事の際には徴用する計画を立てました。 昭和7年から11年まで三期に渡って実施された「船舶改 善助成施設」という補助政策によって50万トン近い老朽船が解体され、30万トン以上の高速優秀船が建造されま したが、引き続き「優秀船舶助成施設」という補助政策が実施され、総トン数で6000トンを超える速力19ノット 以上の客船・貨物船・タンカーの建造が昭和12年から実施され、太平洋戦争で活躍した多くの優秀船舶が建造さ れました。 連合艦隊の屋台骨を支えた多くの特設給油艦は、このように周到に準備されたもので、真珠湾攻撃 の南雲機動部隊に随伴した補給艦隊の全ては昭和9年から14年までの間に神戸川崎造船所で建造された「東亜丸」 をタイプシップとする優秀タンカーでした。 「極東丸」は飯野海運が昭和9年に建造し、ボルネオやアメリカ本土からの原油輸送に活躍していましたが、昭 和13年7月に徴用され、開戦時は連合艦隊に所属し、南雲機動部隊の第一補給部隊として真珠湾攻撃に参加しま した。 大戦中は「旭東丸」と呼ばれて特設運送艦籍に編入され、機動部隊をはじめとする艦隊の給油に大活躍 をしていましたが、昭和19年9月21日のアメリカ海軍艦載機によるマニラ空襲時の爆撃により沈没しました。 |
製作の記録です。 |
いつものように、船底には固定用のナットを仕込みます。甲板の同じ位置にも穴を開けておきます。 船底の中央に穴が空いてます。 最初は意味が分からなかったんですが、ここが成型時の湯口になっており、 ここにしか湯口がありません。 と言う訳で、彫刻してある船体側に湯口を出さない工夫らしいと分かりました。 |
艦橋の前面側の部品です。 本来の開口部が塞がっていますので、開口してやることにしました。 |
窓にように狭い所以外は開口してやりました。 |
こっちは艦橋の背面の部品です。こっちの4階?部分も開口して床(白プラ)と背面の板を自作しました。 |
艦橋を組み上げて、エッチングの手摺り(ライオンロア製)を取り付けました。 |
こっちは船体へエッチング手摺り(キット付属)を取付けているところです。 この手摺りは糊代付きのタイプでしたので、船体中央のように直線の部分は写真下の ように先に接着して、瞬着が固まったところで写真上のようにエイヤっと曲げてます。 |
船体の塗装の準備ができました。 |
船体にタミヤのTS-67をスプレーしたら、エッチングのキャットウオークを組み立てて取り付けます。 |
キャットウオークの横には蛇管格納所があるので、これを付けるための糊代を用意します。 |
甲板間を繋ぐ階段(ラッタル?)です。 0.5mmのプラ板に刻みを入れて、エッチングの手摺りを接着します。 |
艦橋・蛇管格納所(と言っても床と壁のみ)、後部の上部構造物を取り付けて、ラッタルと搭載艇も組付けました。 |
デリックに0.75mmのプラ棒を輪切りにした滑車を付けて、真鍮線でフックを付けました。 |
ここからは完成品です。 |
部品を組み上げて、張り線を行って完成しました。 |
モデルグラフィック等を参考に(手が出ないところは無視して)ディテールを自作しましたが、それによるとかなりの部分を 作り直さないと正確な極東丸にはならないようですので、今回の完成品は「極東丸のような」フネが正解かもしれません。 |
通風管の通風口は少し座繰って赤を塗りました。 |
中央のポストが蛇管格納所を貫通してます。キャットウオークと蛇管格納所はもう少し右舷寄りが正解だったようです。 |
喫水板の部品は別になっており、付ければ軽い荷、無ければ重い荷の状態を再現できます。 ここでは接着せずに喫水板の上に船体を乗せてみました。 |
船体はタミヤのTS-67(佐世保海軍工廠色)をスプレーしましたが、 上部構造物はMr.Colorの32番で塗りましたので、色味に差がでました。 |
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