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PANDA MODELS 1/350 USS COLE |
DDG-67 USS COLEは、アメリカ海軍のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の17番艦で、艦名は太平洋戦争中に 硫黄島の戦いで1945年2月19日に戦死したアメリカ海兵隊軍曹ダレル・S・コールにちなんでおり、この名を持つ 艦としては2隻目になります。 本艦はミシシッピ州パスカグーラのインガルス造船所で建造され、1996年3月11日 に海軍に移管されました。 コール襲撃事件 2000年10月12日、本艦は定時燃料補給のためイエメンのアデン港に停泊中でした。 09:30に係留作業を完了し、 燃料補給は10:30に開始されましたが、艦の左舷に接近してきた小型ボートが11:18に自爆し、爆発によって左舷 に12m四方の亀裂が生じ、艦が大きく損傷しました。 17名の水兵が死亡し、39名が爆風で負傷しましたが、負傷者 はドイツのラムシュタインにあるアメリカ陸軍医療センターに搬送され、その後本国へ帰還しました。 船体の方はダメージコントロールの努力により、その日の晩までに機関部への浸水を食い止めるができ、ダイバ ーによる船体の検査によって竜骨には損傷が無いことが認められました。 その後、コールはノルウェーの海難 救助船ブルー・マーリンによってアデン港から搬送され、2000年12月24日にミシシッピ州パスカグーラに到着して 補修が施され、2003年に復帰しました。 この襲撃は、オサマ・ビンラディンの率いるテロ組織、アルカーイダのメンバーであるイブラヒム・アル= サウアとアブドラ・アル=ミサワによって行われた自爆攻撃でした。 アメリカ政府はコールに対する攻撃犯および 支援者の逮捕または有罪判決に結びつく情報に対して500万ドルの懸賞金をかけました。 コール襲撃計画の主犯と 見なされたアブ・アリ・アルハリチは2002年11月4日にCIAのRQ-1 プレデター無人航空機から発射されたAGM-114 ヘルファイア・ミサイルによって死亡しています。 |
製作の記録です。 |
船体と甲板を合わせてみると、船体の幅がやや足りないことが分かりましたのでプラ棒で拡幅してやります。 |
ブーツトップ(船体中央の黒い線)を先に塗って、船底色をスプレーしました。 |
今回はものが大きいのでメインの塗装は缶スプレーでやろうと思ってます。 甲板にニュートラルグレーをスプレーしておいて船体色にそなえてマスキングを始めましたが、後部のヘリ甲板 は最早予定変更で筆塗りすることにして部分的なマスキングとしました。白の標識のみ塗ったところです。 |
中央の甲板に艦橋構造物を組み付けて、マスキングしました。 |
この中央甲板は前後二つに分かれていましたので、裏側に補強板を接着して接続しています。 中央甲板の手摺りは甲板の裏面に接着しておいて、エイヤっと曲げてやろうと思ってたんですが、このステンレス製 のエッチング部品は硬くて、焼き鈍しをしてもエイヤっとやった時に接着部が剥がれてしまってので断念しました。 |
と言う訳で何とかマスキングを全部終えて、甲板と船体を接着してから舷側と艦橋の手摺りを取り付けました。 |
続いて艦橋頂部と後部構造物の手摺りを取り付けました。 後部構造物の手摺りは支柱根本を最下段のところで独立させて側面に取り付けられているようにしました。 艦橋頂部は溝を切って埋め込み式にしました。 |
ここからは完成品です。 |
塗装や小物の組み付けが終わってやっと完成しました。 |
甲板はAS-7(ニュートラルグレー)船体はAS-2(明灰白色)ですが、同じような色になってしまいました。 |
ヘリコプターの部品は付属していませんでした、ヘリが無いとチョット寂しいですね。 左舷艦首の艦番のデカールは大きな文字ですが。。。。。 |
右舷艦首の艦番デカールは艦尾と同じ大きさです。 大きな文字の数字デカールで「67」は一組分しかなく止む無しの処理です。 カルトグラフ製らしいんですが、ちゃんと入れておいて欲しいです。 |
プロペラガードはプラ部品もありましたが、真鍮線で作り直してます。 |
1/350ですから大きいのは当たり前ですが、収納に困りそうです。 |
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