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RODEN 1/72 RAF S.E.5a w/Wolseley Viper

第一次世界大戦中のイギリスで最も成功した戦闘機S.E.5aが開発されたのは、1917年にイギリス軍が大きな損害 を被った血の四月(Bloody April)直後のことでした。 本機の前身であるS.E.5はカタログ的には優れた性能を 持っていましたが、信頼性の低いHispano Suiza 150hpエンジンのせいで、そのポテンシャルを十分に発揮出来 ませんでした。エンジンをより強力なHispano Suiza 200hpに換装したS.E.5aは1917年の5月に初飛行を行い、 その1ヶ月半後には最初の量産機が前線に到着しました。

S.E.5aの主契約社はR.A.F.(Royal Aircraft Factory)で、その他に8社がサブコントラクターとなっており、1917年 の末までに1300機の発注がありましたが、完成したのは800機程度でした。 というのもHispano Suiza 200hpは多く の欠点を持っていることが明らかになったこと、種々の製造上の問題が生産ラインに影響を与えていることが原因 でした。 フランスからエンジンを調達する試みもありましたが、フランス軍のSPAD戦闘機のために大量の需要が あったため上手くいきませんでした。 Hispano Suizaエンジンのイギリスでのライセンスを持っていたのはWolseley Motors社で、このエンジンのWolseley Motors社バージョンはAdderと呼ばれて少数のS.E.5aに搭載されましたが、 成功とは言えませんでした。Wolseley Motors社のエンジニアが設計変更したエンジンはViperの名前が与えられ、 S.E.5aの問題を解決することが期待されていました。 1917年の9月にはこのエンジンを搭載した機体が試験され、最大速度や上昇率が向上 するなど好評を得ることができました。 イギリス軍はViperをS.E.5aの標準エンジンと定め、先に生産された 機体の一部もオーバーホール時にViperに換装されました。

1918年の中頃までにはイギリス軍の25の飛行中隊がS.E.5aを装備し、38機がアメリカからの遠征軍に供与されました。 第一次世界大戦の終結と共にS.E.5aはSopwith戦闘機への置き換えが進み、急速に第一線から姿を消していきました。 一方アメリカ陸軍では1920年代の中頃まで本機が任務に就いており、これらの機体は後に多くのFlying circuses (アクロバット飛行ショー)で使用され、さらにHells Angelsなどのハリウッド映画に出演したことも有りました。

SE5a_UFL.jpg(93693 byte) 1918年7月 北フランス 第74飛行中隊の Edward "Mick" Mannock少佐(73機撃墜)の乗機のようです。
SE5a_UBR.jpg(129221 byte) 上翼の機関銃はプロペラの回転面を避けるためだと思いますが、胴体にももう一丁装備されています。
SE5a_P.jpg(90637 byte) 200馬力のWolseley Motor Viper V8エンジンで回しております。
SE5a_LBS.jpg(203358 byte) 翼間の張り線は0.104mmのハリスです。
SE5a_RSF.jpg(94744 byte) 翼間や胴体の支柱は全て棒状の部品です。申し訳程度のタボ・ホゾはありましたが位置決めには苦労しました。
SE5a_LSS.jpg(190934 byte) 機体は艶消しのトップコートで仕上げてますが、プロペラは木が磨き込まれた感じ
を出すためにエナメルのクリアイエローとクリアオレンジで仕上げてあります。
SE5a_WR.jpg(157215 byte) 下翼に開けた穴に予め塗装したハリスを接着し、上翼の穴に通してクリップでテンションを掛けて接着します。
タミヤの接着剤が写ってますが、ハリスの接着には瞬間接着剤を使いました。
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