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RODEN 1/72 ALBATROS D III |
第一次世界大戦の戦闘機の殆どは上翼と下翼が同じ大きさの複葉機でしたが、ニューポール戦闘機は上翼に比べ て下翼が細くて短い一葉半の形式でした。 アルバトロスD.IIIの外形はこのニューポールの影響を大きく受けて おり、下翼は単桁で翼舷長は上翼よりも短くなっています。 D.IIIはD.IIの主翼を始めとする多くの要素を設計 変更した機体で、運動性や上昇力は性能向上していましたが、速度に向上は見られませんでした。 メルセデス D.IIIaエンジンの出力は約160馬力に達していましたが、これでもまだ十分では無く、D.IIでは機体側面に装備 されていたラジエータは、D.IIIでは上翼に埋め込むように装備されました。 D.IIIの最初の量産機は1916年の12月に前線に送られ、多くのパイロットから熱狂的に迎えられました。 しかし、 間もなく、多くの機体が墜落してしまいました。 これは下翼が激しい起動によって崩壊する傾向を持っていた ことが原因でした。 かのフォン・リヒトフォーフェンも1917年24日に危うくこの欠陥の犠牲になりかけました が、幸運にも不時着することが出来ました。 彼は一旦乗機をハルバーシュタットD.IIに替えていますが、1ヶ月 後には再びアルバトロスのコクピットに戻ってきました。 下翼の欠陥にも拘わらず、D.IIIは1917年前半のドイツ 空軍で最良の戦闘機であり、連合軍の全ての戦闘機を凌ぐ機体でした。 ドイツ軍の損失30機に対してイギリス軍 機が151機も失われた1917年の血の4月(Bloody April)は連合軍にアルバトロスD.IIIに対する回答を探し求める よう促しました。 1917年の前半は本機にとって最盛期であり、イギリスのS.E.5やフランスのスパッド戦闘機が 現れると旧式化していきました。 しかしフォッカーD.VIIが制空権を確保するに至った1918年の末でも多くの アルバトロスD.IIIはドイツ上空の防衛任務に就いていました。 |
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![]() 複葉機にこんな部品分割はあんまりだと思いましたが、多くのバリエーションをカバーするためのようです。 そんな訳で、接合部には針金や接着しろを入れて補強しています。 |
![]() カラーの塗装図が原寸大でしたので寸法を測って識別しました。 |
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