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SMER 1/72 イリューシン IL-2 シュトルモビク

イリューシンIL-2は地上部隊との協同作戦が出来る航空機に対する要望が増大することに対応して設計された 攻撃機です。 本機が設計されたのは1930年代の末で、セルゲイ・イリューシンはソ連空軍に強力な武装と重装甲 を持った単発複座の機体を提案しました。 試作機のCKB-55は胴体後半は木製でしたが、主翼は全金属製で機首か ら銃手席までが流線型の装甲で覆われており、1939年に10月2日に初飛行しました。 性能は概ね満足すべきもの でしたが、テストパイロットからは速度が低いこと、航続距離が短いこと、機関銃が4丁では武装が不十分で あることが指摘されました。 単座として燃料タンクを大型化すること、機関銃は2丁に減らして、機関砲を2丁 搭載して武装と強化することが改善案として提示されました。

これらの設計変更は全て取り入れられましたが、その結果防御機能が低下したため、戦闘機の護衛が必要となり ました。 エンジンも強化され、全金属製となった新たな試作機CKB-57は1940年の10月12日に初飛行しましたが、 評価試験が完了する前にIL-2として量産が開始され、1941年5月にはソ連空軍に配備が始まりました。

しかし、ドイツによってソ連が侵略されるまでの数ヶ月ではパイロットは十分に訓練することが出来ず、戦闘機 の護衛も無かったことからドイツ空軍によって大きな損失を被りました。 これにより、後部機銃座が必須である ことが認識され、加えてアルミ材料の不足によってアルミ製の翼と胴体を木製に置き換えることが必要になりま した。 その結果、機体は重くなり、操縦も困難になってしまいました。 しかし、自己防御能力の向上は急務で あったため、複座に設計変更されたIL-2m3が配備される前に多くの単座型が前線で複座に改造されました。 複座 の機体の性能は単座よりも見劣りしたため、戦術の徹底的な見直しがされるまでは評判は良くありませんでした。 本機は数ある中でも、その世界最多の生産数において有名であり、全ての派生型を合計すると36,163機が完成しています。

IL-2_UFL.jpg(149014 byte) 1941-1942年の冬季迷彩です。ロシア語はさっぱりなので詳細は良く分かりません。
IL-2_UBR.jpg(325202 byte) このキットを作っている最中にアカデミーから同スケールで発売されることを知りました。チョット複雑な気分です。
IL-2_P.jpg(85685 byte) 1600馬力のMikulin AM-38エンジンで回しております。
IL-2_RUS.jpg(134588 byte) 何と書いてあるのかは分かりませが、このデカールが貼りたくて作りました。
成形は簡易モールドの様ですが、デカールは薄くてしなやかな良質なものでした。
IL-2_RFS.jpg(195839 byte) 今回は主たる塗装は全て缶スプレーで行いました。
IL-2_FRS.jpg(175887 byte) 大きめの爆弾を搭載させましたのでロケット弾は弾架のみにしています。
機関砲の銃身は真鍮パイプ、機関銃の方は針金です。
上半角が殆ど有りません。これは失敗でした。
IL-2_RBS.jpg(108227 byte) 排気管はモーターツールを使って開口しています。方向舵のマスバランスは0.45mmの銅針金に瞬着の錘です。
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