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TOKO 1/72 Bell P-63C Kingcobra |
ベル社は1936年の米陸軍の単発単座戦闘機開発計画に応えてP-39「エアコブラ」を開発しました。 この機体は エンジンを胴体の中央付近に置いて、長い延長軸で機首のプロペラを駆動し、プロペラ軸を通して機関砲を発射 するという珍しいレイアウトでした。 これは重量物であるエンジンを機体の重心近くに置くことで運動性が高 くなり、機首に強力な火器を集中搭載できるメリットがあると考えられたからです。 しかし、P-39の量産型に は排気タービン付きのエンジンが搭載されなかったために、3000m以上での高空性能に問題が有り、対空戦闘には 不向きな機体になってしまいました。 1941年にはベル社はこのP-39をベースとして高空性能を改善するため機械 駆動式二段過給器を備えたエンジンを搭載した機体の開発を開始しました。 この機体には速度と航続距離向上を 図って層流翼が採用されました。 しかし、搭載予定であった肝心のエンジンV-1650マーリンがP-51Bの需要増に よって余裕が無くなったため、試作機のXP-63AはアリソンV-1710-47を搭載して1942年12月7日に初飛行し、1944 年まで試験が続けられて、同年の夏に「キングコブラ」と名付けられました。 テストパイロットによる評価は悪くなく、空戦性能はP-51やP-47と同程度だったらしいのですが、低速で上昇力 が悪いとも評価されました。 致命的だったのは航続距離が短いことで、米陸軍はP-63を戦闘には不適な機材と判 断し、一部を国内の練習部隊に配備した他は、ほとんどがソ連へのレンドリース機として輸出されました。 第二 次世界大戦終了後には、P-63はフランス政府に供与され、インドシナ紛争で対地攻撃に投入されました。 スピッ トファイアーに負けず劣らず活躍しましたが、予備部品の入手難からその期間は短いもので、1950年にはF6Fヘル キャットに、1951年にはベアキャットに、その席を譲り渡しました。 |
製作の記録です。 |
プロペラを回転させるために普段なら真鍮パイプを軸受けにして、真鍮ロッドをプロペラ軸にするんですが 今回は機首にかなり錘を仕込まないといけないので、軸は固定にして、プロペラハブの穴で回す方式にしました。 軸は2mmのビスを加工したものです。 |
主翼と胴体の合いが良くありませんので、摺り合わせが手間でした。 主翼の後縁が厚ぼったいので随分削り、前縁は逆にパテ盛りして形を整えました。 機首の錘は鉛の板を巻いて作って、撮影もしたんですがボケまくりになりましたので、掲載は見合わせました。 |
サンディングの工程が終わって、マスキングしたキャノピーを接着した塗装直前の状態です。 水平尾翼はイモ付けの設計でしたので、補強に針金を仕込んでます。 |
銀色の塗装に備えて、艶有りの黒を全体にスプレーしました。 |
銀色をスプレーして、デカールを貼り終えましたが、かなり硬いデカールでソフターもあまり効果がありません。 |
ここからは完成品です。 |
大戦後フランス空軍の戦闘機部隊 11/5 Ile de France の所属機仕様で仕上げました。 |
機首の防眩塗装と主翼付け根の通行帯?はハセガワの艶消し黒フィニッシュを貼ってみました。 |
昼間に撮影できましたので自然光で撮ってみました。 |
脚カバーは随分厚かったので削ってやりました。 内側のカバーは閉じているのが正解かもしれません。 |
アリソンV1710の1,325馬力で回しております。 |
主翼の後縁も随分厚かったので、ガリガリ削ってやりました。 |
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