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FLYING MACHINES 1/72 フィアット G.55S シルランテ |
フィアットG55.S(silurante:魚雷)は1944年にG55(Centauro:ケンタウルス)をベースに魚雷を搭載できるように 改造された機体です。 G55の方はG50(Freccia:矢)を根本的に再設計して開発された機体で試作機は1942年の4月30日に初飛行しました。 再設計にあたって主翼は新規に設計され、エンジンはドイツ空軍のメッサーシュミットBf109Gと同じダイムラー ベンツのDB605Aが装備されていました。 本機はそれまでの戦闘機より格段に高速で運動性も良く、パイロット たちから高い評価を得ることができましたが、DB605がドイツ国内向けの生産に追われて入手困難だったため、 同エンジンをライセンス生産したフィアットRA1050RC58(Tifone:台風)を搭載する事になりました。 但しこの エンジンの生産が軌道に乗るまで時間がかかり、本機の実戦投入は終戦の3ヶ月前である1943年6月までずれ込ん でしまいました。 イタリアでは戦局の悪化に伴い北アフリカからB-17やB-24といった連合軍の大型爆撃機が頻繁に来襲するように なりましたが、それまでのイタリア戦闘機の武装では火力的に対応することが難しく、また高高度性能も劣って いました。 その点、G.55の武装(12.7mm機関銃×2と20mm機関砲×3)は強力で、実用上昇限度も12,500mと比較的 高く、優れた迎撃戦闘機でした。 イタリア降伏(1943年9月8日)までにイタリア王立空軍に引き渡されたG.55はそれほど多くは無く、降伏後も生産 は継続され、完成機はイタリア北部に誕生したファシスト系のイタリア社会共和国下の共和国空軍に引き渡され 、最終的には約300機が生産されました。 |
製作の記録です。 |
直径3mmのプラ棒のセンターを狙って0.9mmの穴を貫通させて、プロペラ軸とします。 プロペラ部品の方はもともとの軸を切り飛ばして、0.8mmの真鍮線を仕込みます。 |
シートはレジンの一発抜きです。操縦桿もモールドされていたようでしたが、さすがに折れてしまってましたので 針金を接着しました。エッチングのベルト等をセットして、レジンの側壁やインパネを塗装したのが右側です。 インパネはエッチングのパネル部品でメータのフィルムを挟んでいます。 |
主脚収納部もレジンですが、主翼下面との間に大きな隙間が空きますので、ホワイトパテで埋めてます。 |
胴体にはタボ・ホゾがありませんので、プラ板で接着を補強します。 レジンの排気管を接着して、胴体内側にはアルミテープを張って補強しました。 |
胴体の左右を接着して主翼とも結合して十の字にしました。 上面の合わせはまあまあですが、下面に大きな隙間が出来ますので、やはりホワイトパテで埋めて、整形しました。 簡易モールドの常で尾翼はイモ付けの設計ですので、補強の針金を仕込めるように加工しました。 |
右舷の排気管の上になにやらインテークがあります。レジン部品が用意されていましたが、 ピンセットで射出してしまいましたので、適当なリード線の中身を抜いて、真鍮線を仕込んだもので代理にしました。 |
全体をサンディブラウンで塗ってNATOグリーンで迷彩パターンを描いてます。 |
ここからは完成品です。 |
改造された試験機みたいな機体ですから、どこの所属でも無いようです。 |
この迷パターンは編み目迷彩と言うのでしょうか?イマイチ感覚が掴めないまま塗っています。 |
DB605Aの1,455馬力で回しておりますが。。。プロペラのピッチが浅いので回すの苦労しました。 |
主翼の機関砲の先端は0.6mmの真鍮パイプで置き換えました。 |
魚雷をクリアするために尾輪の脚柱が長いです。これは0.9mmの真鍮パイプで置き換えています。 |
左翼のピトー管は0.8mmのアルミパイプと先端を尖らせた0.45mmの銅線の組み合わせです。 組説にもHAND MAKE(自作)と書いてありました。 |
機体側の主脚カバー後方には魚雷を縛っているワイヤーがありますが、これもHAND MAKEと指示されていました。 |
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