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MPM 1/72 ライアン FR-1 ファイアーボール |
1942年の12月にアメリカ海軍は航空機製造メーカー9社に提案提出の要求を行いました。 その要求の内容は艦 載戦闘機で、その機体には離着陸距離を短くするためにレシプロエンジンを搭載し、さらに上昇力が必要な時に は余分の推力を得るためのジェットエンジンを搭載するものでした。 驚くべきことに最も説得力の有る提案は Ryan社から寄せられたものでした。Ryanのモデル28に感銘を受けた海軍当局は3機のプロトタイプXFR-1を1943 年11月に発注しました。 この新型戦闘機は低翼単葉のクラシックなデザインでしたが、主翼前縁に配置された空気取り入れ口と尾部の 小さなジェットノズルのみが伝統的な機体では無いことを示していました。 本機はライトR-1820-72W空冷式 エンジンとジェネラルエレクトリックI-16ターボジェットエンジンを装備し、これらのエンジンは共通の燃料 を使っていました。 1944年の6月25日に最初の試作機が飛行を行いましたが、この時はレシプロエンジンのみ での飛行で、ジェットエンジンはまだ装備されていませんでした。 そして9月20日に両方のエンジンを装備した 2機目の試作機が初飛行を行いました。 最初のFR-1は既存の部隊には配備されずに、サンディエゴに本拠を置く新設されたVF-66に配備され、本機の一連 の試験を完了させることを任務とされました。 FR-1の配備は1945年の3月から始まり、空母レンジャーでの トライアルを経て5月1日には空母運用能力が認定されました。 日本が降伏した時点でVF-66はまだ実戦配備可能 な状況では無く、66機が生産完了していた1945年11月にはFR-1の生産は突然停止されました。 FR-1の上昇力と機動性は従来のレシプロエンジン機よりは優れていましたが、最高速度では劣っていました。 それでも空母からジェットエンシンのみで発艦した最初の機体の栄誉を受けたのはFR-1でした。 また、レシプロエンジンが故障したことが原因ではありますが1945年11月にはジェットエンジンのみで空母に 着艦しています。 本機は1947年3月には全機退役しています。 |
1946年 航空母艦San Jacintoに展開したVF-41所属機仕様です。 |
デカールを貼ってからクリアを掛けて墨入れし半光沢のトップコートで仕上げました。 |
自然光での撮影です。 黄色のストライプと機番はデカールですが下地が透けてしまいましたのでタミヤのアクリル塗料で上塗りしてます。 |
ライトR-1820-72W空冷式エンジン 1,425馬力で回しております。 |
簡易モールドのキットですので形にするのも大変でしたが、他のキットからの部品流用はしないで組み上げました。 機体色はグロスシーブルーですが、撮影が難しい色です。 もっと艶を落とした方が良かったかもしれません。 |
かなりテールヘビーです。機首に錘を入れても間に合いそうに無いので着艦フックで尻餅防止してます。 この着艦フックは0.9mmの真鍮線での自作部品に置き換えました。 |
主脚カバーは付属のエッチングパーツです。前脚カバーはプラ部品でしたので出来るだけ薄く削りました。 |
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