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ハセガワ 1/72 ノースアメリカン B-25J ミッチェル

1938年1月18日アメリカ陸軍が出した双発中型攻撃及び爆撃機計画に対しノースアメリカン社は、社内呼称NA-40を提案しましたが、この機体はアメリカ陸軍の飛行試験中の事故で失われてしまいました。 新たな爆撃機の要求仕様は1939年3月11日にも発表されましたが、その要求は3,000lbの爆弾が搭載でき、最高速度は480Km/h以上、航続距離は3,200kmを上回るというものでした。 この計画に対してノースアメリカン社がNA-40に改良を加えたNA-62が選ばれ、同年9月20日にB-25として140機が発注されました。

当時はヨーロッパでの戦争が避けられない状況で、さらには日本との緊張が高まっていただけに、早急に新型機を配備する必要に迫られていました。 B-25は双垂直尾翼と前脚式降着装置はNA-40のままとし、胴体は断面積を広げ、側面及び尾端に銃座を新設しました。 主翼は中翼式に改められ、エンジンはライトR-2600-9(1,700馬力) が採用されました。 開発は順調に進み、1940年8月19日には初飛行に成功し、完成した機体は第17爆撃大隊に配備が開始されました。

B-25の実戦で最も有名なものは太平洋戦争で初めての日本本土空襲です。 第17爆撃大隊から選抜された16機の機体と搭乗員はジェームス・H・ドゥーリトル中佐に率いられて1942年4月18日に空母ホーネットを発進しました。 戦果は少ないものでしたが、日本軍に与えた心理的影響は大きなものでした。

B-25は各型合わせて11,000機近くの大量生産が行われ第二次世界大戦におけるアメリカ軍の代表的な双発爆撃機と評価されています。 B-25Jは1943年12月から生産が開始された大戦後半に主流になったタイプで、中高度爆撃が主体であったため機首を透明にし、爆撃手を配置したのが最大の特徴です。 本型はシリーズ中最も多く、4,318 機が生産されています。

B-25J_ULF.jpg(152037 byte) 1945年2月の第498 爆撃飛行隊所属機仕様で仕上げました。
B-25J_URB.jpg(151850 byte) 今回もデカールの上から墨入れしてます。
B-25J_P.jpg(100057 byte) ライトサイクロンR-2600-29(1,700馬力)2基で回しております。
B-25J_RFF.jpg(110202 byte) 機首のオネーチャンのアップです。 窓の一部を潰してでも書きたかったんでしょうね。
前方向きの機銃は固定が8挺、銃手用が1挺です。
敵機と積極的に渡り合うつもりは無いでしょうから、爆撃だけでなく機銃掃射にも力が入っているようです。
B-25J_BUR.jpg(114845 byte) 上半角は内翼にのみ付いています。
外翼は水平のはずですが、主翼を取り外し可能にするために接着していない影響でしょうか少し垂れてます。
空に上がればたわんで水平になるということで自分を納得させます。
B-25J_LSS.jpg(131606 byte) 前輪式の機体の例に漏れずそのままでは尻餅をつきますが、機首に錘を入れるスペースがありません。
機体後部の乗降用扉の下にある踏み台はキット付属の部品で、これで尻餅防止にする設計です。
車輪と踏み台の4点で接地するように踏み台は少し削って高さを調整しました。。
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