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ACADEMY 1/72 ヒューズ(マクドネルダグラス)AH-64A |
1960年代ベトナム戦争においてアメリカは明確でない前線と各地に潜むゲリラに苦慮し、これらの地域に迅速に兵士を送り込む手段と して大規模な航空施設を必要とせず、かつ小回りの利く兵器であるヘリコプターを運用しました。 しかし、高性能携帯式地対空ミサ イルが登場し、またゲリラの待ち伏せ攻撃にも弱く1961年から1971年の間には実に4500機ものヘリコプターを喪失することになりまし た。 そこで通常型のヘリコプターに擲弾筒を装備して地上掃討戦が行われる様になり、さらにベルのUH-1を完全に再設計したAH-1 コブラが登場する事になります。 結局アメリカはベトナム戦争において負けてしまいましたが、戦線に投入されたAH-1の活躍はア メリカ陸軍の期待通りのものとなり、攻撃ヘリという軍用機のジャンルを確立しました。 1970年初頭にアメリカ陸軍は発達型攻撃ヘリ(AAH)計画という新しい武装ヘリのプロジェクトをスタートさせました。 AAHでは決定的 な攻撃力よりも低高度を飛行し、高い機動性を発揮する生存性の高い隠密攻撃ヘリである事を最重要とされており、要求仕様には以下 のものが含まれていました。 昼夜間の戦闘能力(暗視システムの装備)、点目標(戦車)に対する精密攻撃能力(対戦車ミサイル8発 の携行が可能、弾数320発の30mm機関砲装備)、高い生存性と機動性の確保(上昇率450fpm以上、戦闘時間1.8 時間)。 AAH計画の提案 要求書(RFP) は1972年11月に発行され、これに対しベル、ボーイング・バートル、ヒューズ、ロッキード、シコルスキーの5社が応募、 書類選考の結果ベル社はYAH-63、ヒューズ社はYAH-64を試作する事になりました。 1975年9月30日に初飛行に成功したYAH-64アパッチは1976年12月に正式選定されました。 しかし生産開始が承認されたのは1982年3月 16日で、量産初号機の初飛行は1984年1月9日、米陸軍への納入は同月26日でした。 湾岸戦争まではアパッチの整備性・信頼性・戦闘 状態における能力に疑いを向ける声が多くありましたが、湾岸戦争においてアパッチは目覚ましい戦果を上げましたので、このような声 は一掃されました。 |
イスラエル陸軍機仕様です。 というかイスラエル空軍のデカールしか付いていませんでした。 |
ローター周辺を除けば艶消しオリーブドラブ一色で、スプレー塗装しちゃいました。 |
兵装は外側(翼端)からスティンガーミサイル、ロケット弾ポッド、ヘルファイア対戦車ミサイルです。 |
機首には光学的センサーが装備されてます。 ローターマストの頂部には誤ってロングボウレーダーを乗せてしまいましたが、これはD型の装備でした。 |
この機体の場合は前席がガンナーで後席がパイロットです。 |
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