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タミヤ 1/700 駆逐艦 松

ミッドウエー海戦で主力空母4隻を一挙に失う痛手を受けたのを始めとして、連合軍の反撃が激しさを増す中、日本海軍の艦船や航空 機の損失は急激に大きくなっていきました。 中でも昭和17年8月のガダルカナル島をめぐる激戦が始まると、日本はアメリカ海軍か ら東京急行を呼ばれた駆逐艦隊による兵員や物資の輸送を繰り返し行い、戦いの中で多くの駆逐艦が失われることになりました。 こ うした損失を補うために計画されたのが「松」を一番艦とする丁型駆逐艦でした。 短期間で数多くを建造し、また資材を節約するた めに小型でシンプルな構造として、艦橋等も平面的な構成とされました。 しかし、その一方で対空、対潜能力は重視され、輸送船団 の護衛という任務に適した新しいタイプの駆逐艦として期待されたフネでした。 本艦の基準排水量はこれまでの艦の約半分でしたが 、主砲には日本の駆逐艦で初めて12.7cm高角砲が採用され、61cm魚雷発射管四連装一基を備えていました。 また、ボイラーとタービ ンの配置についてもシフト配置と呼ばれる新しい試みが採用され、左右にあるボイラーとタービンをそれぞれ四つの区画に分けて配置 されました。 これは建造に手間は掛かるものの、一方のボイラーかタービンが損傷しても残った方で航行を続けられる可能性が高く なる点を重視した配置でした。

本艦は昭和19年4月28日に舞鶴工廠で竣工し、第11水雷戦隊に配備されました。 第3次イ号作戦には陸軍部隊を送る船団の護衛の旗艦 として参加し、部隊や資材を無事に届けた船団は8月4日父島の二見港から横須賀に向けて帰途に就きました。 しかし、小笠原爆撃に 飛来したアメリカ第38機動部隊の飛行隊に発見され激しい攻撃を受けてしまいます。 「松」は、この戦いで商船の大半を失った船団を 率いて日本を目指しますが、さらに15隻のアメリカ巡洋艦隊の追撃を受けた際に、船団を逃がすためにただ一隻反転して敵艦隊に向か い、果敢な戦闘の末に4日夜、その姿を波間に没しました。

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マストの張り線はしておりますが、手摺りは省略してます。
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艦首にも艦尾にも穴ぼこが空いておりますが、多分機銃座の基部と思われます。
IJN_MATSU_RFU.jpg(173011 byte) 主砲が単装なのは心細いですね。
IJN_MATSU_LBU.jpg(166954 byte) 軍艦旗がやたらと大きく感じます。
IJN_MATSU_FUL.jpg(213476 byte) 甲板にはリノリウムが貼ってあることが多いのですが、可燃物なので止めたみたいです。
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