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シールズモデルズ 1/700 南極観測船 宗谷

昭和31年11月8日、船体を鮮やかなオレンジ色で塗装された宗谷は東京の晴海埠頭から南極の前人未踏のプリンス・ハラルド海岸に向 けて出港して行きました。 敗戦の痛手から立ち直り切れずにいた日本が昭和30年、その復活をかけて、国を挙げてのプロジェクトの 一つとして国際地球観測年の一環である南極観測事業に参加を表明しました。 しかし、この任務に用いる船の選定は困難を極めまし た。 外国船の用船はままならず、さりとて新造船を建造する余裕も無いため、海上保安庁で灯台補給船として用いられていた宗谷を 砕氷船に改造して使用することが決定しました。 この時宗谷は既に船齢18年に達しており、昭和13年に耐氷貨物船として建造され、 海軍の運送艦として過酷な太平洋戦争を戦い抜き、戦後は引き揚げ船として北に南に走り続けたその船体はいつ引退してもおかしくな いほど疲れ果てていました。

しかし、宗谷は当時の造船関係者が心血を注いだ大改造を受け、南極観測船として生まれ変わり、厳しい南極の自然に挑むことになり ました。 宗谷は観測の度に改造を重ねつつ働き続け、ソ連砕氷船オビ号による氷海からの救出、カラフト犬タロ、ジロの生還、福島 隊員の遭難など忘れ得ぬエピソードに彩られた6次に及ぶ南極観測任務を全うしました。 昭和37年4月、南極観測船としての任務を 終えた宗谷は更に改造を施されて、再び白い船体の巡視船となって北海海域で海難救助に活躍を続けました。 昭和53年7月、宗谷の 改役が決まり40年に及ぶ現役生活を終えることになった時、全国から保存を望む声に応えて東京にある船の科学館での保存が決まり、 昭和54年5月より一般公開が始められ現在に至っています。

SOUYA_FRU.jpg(232533 byte) 第5次観測時(昭和35年11月12出発 36年5月4日帰着)の状態で仕上げました。
SOUYA_BLU.jpg(238304 byte) 船体は駆逐艦より短いですが、幅は軽巡洋艦なみです。
SOUYA_LFS.jpg(156373 byte) 軍艦と違って信号旗を掲揚するためのマストが見あたりません。
SOUYA_RSB.jpg(87095 byte) こちらの背景の方が南極っぽいですね。
SOUYA_HELI.jpg(141813 byte) ネットはエッチングですが、トップコートを繰り返したので、穴が埋まってます。
SOUYA_SHOWA.jpg(181581 byte) フロート部品がイマイチだったので、ウオーターラインシリーズの共通部品から調達してきました。
フロートの支柱は0.28mmの真鍮線で作り直してます。
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